機農高校寮同窓会開催報告
Date:2023.07.31
53年前にお世話になった学生舎監に逢いにゆく旅紀行。今月7月8日にせたなで機農高校の寮の同窓会を53年振りに開催した。53年振りとは、せたな在住の河村正人氏と再会するのが卒業以来なのです。全寮制の我が機農高校は全国から多彩な個性を持ったモノが集まっていた。1969年卒業組、2年までの担任だった西川求先生と3年、学生舎監デンマーク帰りの河村正人氏は、せたなの同地区に入植して立派に成功している。
今回はその河村氏に再会するべくの旅でもあった。西川求氏は私たちの学級担任であったのだが、教職前から酪農の道に進むと決めており、その機会を待って1968年にせたなに入植するために私たちとはお別れした。今回その2年のとき在寮した、機農寮でのお別れの日が近づいてくる日々のなか、寮生各自1頁ずつお別れやら激励??の文章をしたためるモノが回ってきたらしい?と言うのも、今の今まで全く記憶が無いのだ。今回の機会にその存在を知ることになり、自分の書いたものを54年振りに見ることになる。これは今回の主人公である河村正人氏にも言えることで、1969年卒業の時に渡したメッセージ文の有ることが昨年訪問したときに判明したのである。同じく自分には記憶が無かったのではあるが、今読んでみると確かに53年前の自分がいるのである。河村正人氏は自分から寮生に書いて貰うお願いをしたのだが、西川求先生は、誰が率先して書かせたのか、未だに不明だという。お別れの日に手にぽんと渡されたという。それが誰の手からだったのかも覚えていないという。50年以上も経つと、まるで全てがドラマのような思い出となってしまう。
述べるのが後先になったが、河村正人氏は私たちが機農高を卒業した年1969年に現在の地瀬棚に入植している。入植当時の住宅が今も残っておりました。
私は今年の5月にお手伝いで3日程、せたなを訪れ草刈り等を行った折、今回の53年振りの希望寮の同窓会をここせたなで開催したいという提案をした。河村さんからは是非是非との快諾をいただき、肌身離さず、53年前の在寮生のかき寄せしたノートを持ち出してきて、彼はどうしている?等と一人一人尋ねられ、このことから、これは必ずこの地に集まっての再会の場を持ちたいと強く心に感じて一旦青森に帰ってきました。実はその前の年、コロナ禍で延期になっていた機農高の四期生の同期会を11月に開催した折、せたな河村正人氏にお会いしており、せたな希望寮同窓会を開催する話は自分では準備不足と思い、出しておりませんでしたが、11月の同期会で希望寮数人に打診しておりました。しかし同期たちからは、余り思わしくない印象でした。変に冷めた印象でしか無かったのが事実。余りにも時間だけが経ち過ぎてしまったのだろう。唯言い訳するつもりはないのだが、今回のことに幾らかは影響するのか、コロナ前々の2010年に機農高の1年青峰寮、2年機農寮と暁鐘寮、3年の自由寮、大志寮と我が希望寮の学生舎監だった方々の現在の消息を把握できていた。亡くなられた方も有り、また行方不明者もおられたのだが、8割方調べることが出来た。現在のnet社会の捜索データの凄さである。理由は殆どの当時学生舎監だった方々はお名前だけですぐに判明した。それだけ社会的に地位ある成功者になって居られるという証拠でもある。ただ個人的な理由も有り、返事を頂けない方も居られました。
その間各地域持ち回りの同期会の開催監事に、学生舎監だった方々の招待話の提案もしたのだが、各地域開催の幹事たちの反応が思わしくなく、これは自分が旗揚げするしか無いと思うようになって、今日の開催となった。
さて今回の当時希望寮でお世話になった河村正人氏を囲む同窓会を、このせたなの河村ガーデンで開催するに当たり、5月に参加希望を募って、参加意思のある在寮生に案内を出した。結果非常に微弱数となったが、西川求先生からは数よりも、開催することに大きな意味があるのだから意気消沈すること無かれとのご助言を頂いた。やはり大先輩の言葉には説得力があると感じ入った。
結果、他寮の方も参加くださり、少数精鋭?の同窓会となった。また同地域にお住まいの家族の方、その友人なども多く参加していただき、同期たちだけとは違う楽しいひとときと、53年前に記憶を辿る出会いにもなったかと思う。
せたなをあとにしてしばらく時間がたっての感想なのだが、50年以上も経っての同期たちの環境は、それぞれの地域において、家族を持ち地域的な社会貢献もしてきた人生があり、今回河村正人氏のご家族友人にもご参加いただいてのひとときは、どれほどの皆様と地域において、生かされ愛されているかを感じとる良い機会だったかと思う。その意味では私たち希望寮の参加が少ない分、補って余りある出会いになったと思っている。
写真1、右から西川求、河村正人、森岡道雄、西森信夫、山下哲生各氏である。暗くなってから豊浦の河野幸雄氏から緊急電話。今○○の角に来ているんだが、そっちへ行くには?急いでNONアルコールの某氏が車を飛ばした。全くの飛び入りだったのだ。これは私にとっても皆にとってもサプライズでした。
写真2,豊浦の河野幸雄氏が写っています。明日の朝から畑仕事が有るとのことで、すぐにせたなを後にした。未だ現役で働かされて?いるのだろうか。我々は現在72~3歳に成るのだ。私もそろそろ青森の庭が心配になってきた。自分は今回テント4泊5日の旅であった。
写真3、園田キャンプ泊で朝食中に河村氏が訪れ、珈琲を馳走する。
せたなでの新しい出会いもあった。今後年齢の許す限り、また皆で集まりたいと思う。
写真文責 園田益男 青森県八戸市在住 ※MasuoSonodaのFBにも載せています。
※八戸から青森まで2時間+青函フェリー函館まで3時間40分+函館から瀬棚まで2時間・車で所要8時間。何回か通ううちに近いという印象になってきました。