機農高校酪農経営科4期生同期会報告
Date:2026.07.21

私たちは1969年機農高校を卒業してから、今年で57年になります。
この歳になるまで、本会を続けてこられたのは、同期生たちの中に旗振りする者たちが沢山いたからです。
ただ、ここ数年の間に、その幹事を賜った者たちが次々と他界する年齢となっています。
自分は80歳あたりを一応の線引きと考えているのだが、果たしてその時になってみないと分かりません。
開催ごとに学園から助成いただき、また近況発表の場も与えていただき、自分は大変うれしく思っております。
今回のニュースといえば、恩師の西川求先生が2024年11月に他界されたことと、その先生からお預かりしていた、私たち教え子への応援メッセージを、このような形でお伝えすることになるとは、思いもしませんでした。
すこし本来の趣旨とは外れてしまって、お蔵入りになるところだった寄稿文をこのような形でお伝え出来たのは、よかったと思っております。
内容は割愛させていただきますが、自費制作しました。若干在庫があればお譲り可能です。
当日参加されました40名様と学園、西川家関係者に配布いたしました。
さて、今回の同期会は網走市、網走湖荘で2026年6月25日に開催しました。
恩師であった御三方の恩師は二人が亡くなり、お一人は施設を訪れた際、病院入院中とのことで、それ以上のことは秘密で一切教えてはもらえませんでした。
某S恩師は、私の知る限り、5回施設を転々としており、その都度移転先を施設からは教えてもらうことはできませんでしたが、幸い今回の施設一つ前までは、年賀状を毎年頂いておりまして、その都度移転先の住所を知ることができてきました。今回は年賀状はもらえず、別な知人を介して所在を知ったのです。
このような秘密厳守の縛りが、果たして世の中を本当に良くするとは思えません。ますます人との絆を希薄なものにして行くばかりです。
15年もたった東日本大震災では、50年以上も前にお世話になった、陸前高田在住の恩師の行方が今だ分からず。それは自然災害だけでなく、人災としての機密保持が横たわっている現実があります。恩師はご高齢で震災時御存命かどうかも不明なのですが、一人娘さんがおられたので、その嫁ぎ先などを知りたいと考えたのですが、そこは個人情報という大きな壁が立ちはだかりまして、人間としての○○を非常に欠くという結果となりました。別な言い方ですと義理を欠くことになります。
自分は毎回集合写真の撮影も同期として依頼されているので、機材持ち込みには、どうしても車での参加となります。それも機材故障のリスクも考えて、毎回、機材は二セットを用意して対応してきました。これば現役時代の取材と変わらないことなのですが、退職して取材の仕事をしなくなったので、機材は昭和の時代のもので、何時?壊れるかしれないものです。カメラだけはデジタルになりましたが、それでも20年くらいは経っていると思われます。
22日にフェリーで来道して、同窓会事務局の浦川氏に毎回お会いして、学園の近況などをお聞きいたしております。学園の様相は私たちが学んだ時とはかなり変わり、当時と変わらないのは、同窓会の事務局となっている塔のある木造校舎、二コースが3年間お世話になった建物です、また学園国道添いにあるレンガつくりの丸い建物は機農高校3年の時に希望寮として1年間お世話になった、旧精農寮もそのまま残っています。
今回卒業以来57年初参加が2人おられました。私は認識できるのですが、参加本人全くの浦島太郎状態。でも何回か話すうちに57年前と記憶は蘇ってゆきました。今まで参加できなかったことについては色んな諸事情があるとお聞きましたが、これからと言ってもあと何回、同期会を開催できるのだろうか?正直、お二人ほど、危ないものがいる?
私は23日に苫小牧に渡り、25日に標茶町の実家で、八戸6強の地震があったことを知った。
そのため同期会を済ませて、のち2日ほどの滞在で八戸の自宅へ戻った。夜中だったので近隣の状況は定かではなかったのだが、家の前に入ることができなくなっている。積んであった薪の棚が崩れ倒れていたのである。この原稿を書いている7月7日でもまだ手付かずの部屋があり、昨日はやっと工作道具などを収納している物置を片付けて、あと何日かかるのか?取り合えず今使う道具などを軽トラの上にそろえておく状態にした。幸い亡くなられた方はいないと聞いている。
話が前後するのだが、網走での機農高の同期会。実は私には今年の11月に、今回の同ホテルで酪短大二コースの同期会開催も決まっているのです。その幹事をやられる方と4人でホテル近隣の呼人浦キャンプ場でテント泊を楽しんだ。4人のうち2人は機農高生である。今回高校の同期何人かに声掛けしたが難しかったようだ。その代わり、話の延長で「俺参加する!」と申出てくれたのが二コース2人でした。途中雨が降ってきたのだが、私の跳ね上げテントの下で、薪ストーブで焼き肉とビールを堪能して夜おそくまで話こんでしまった。翌朝小雨が残っており、時を見てテント撤収となったが、後日濡れたテントを乾かすのが厄介となるも、そう予想して今回ナイロン混紡生地にしたのが当たったようだ。
最近、特に思うのだが、私たち同期の年齢で、どれほどの数、SNSをやっているものがいるのだろうかと考える。年老いて考えることが面倒に感じたら、すでにボケが始まっていると養老先生は言う。意欲が先か?体力が先か?若くでも意欲の乏しいものは沢山いる時代。いわゆる若年寄という言葉をこのような状況の時に使うのかどうかの判断は難しいが、年齢相応よりも、意欲を持ち続けることが出来たら、大変素晴らしいことである。ソロソロ我が同期たちにも。その兆候が生じている。でドッチ?それは次の同期会を開催してみればわかること。次回はさっぼろ周辺の仲間が幹事を受けてくれることになりました。
個人としては限界集落と言われるようなところで一度は、開催してほしいな?誰か手を上げてくれないかな。そんなところに住んでいた同期が1人いたのだが、すでに他界していた。残念である。
写真と原稿文責:園田益男 八戸市妙字花生番地 在住。(標茶町出身) 同期会開催日 2026年6月25日 網走市 ホテル網走湖荘にて