能登半島地震義援募金の返礼文書・近況報告のご紹介(2024.6.16現在)

Date:2024.06.24

多くの皆様方へ
こんにちは
 あの恐怖の元旦大地震からもうすぐ6か月(半年)になろうとしています。家の周りの倒壊家屋や傾いた家、大きくひび割れした道路、崩れ落ちた崖や法面は元旦の夕刻そのままです。我が家も廊下の割れたサッシ戸のガラスはベニヤ板が打ち付けられたままです。冬場は隙間風が入りブルーシートで覆っていました。何時になったらガラスが入るか全く見通しがありません。至る所の壁のひび割れもそのままです。
 集落の家の片付けも進んでおらず災害ごみの山がうず高く積まれています。周りの雑草は伸び放題で心荒みます。発生直後から皆様方からは温かいお見舞いや励ましのお言葉、義援金、支援物資をお届け下さいまして本当にありがとうございます。勇気付けられました。全国各地からのご支援には涙しかありません。
 北海道の学生時代仲間たちと肩組みながら歌った「酪農讃歌」の一節に「窮乏の底に沈める国興せ」「同胞(はらから)よ 手に手をとりて 村まもり 弱きを助け 貧しきをいたわるために 勇たて」「みひかりに 恵はつきず つまずく日 倒るる時も見捨てずに 我をはげます 神の愛」 とあります。未曾有の大震災で甚大な被害に苦しむ能登半島の人々の心に沁みる一節です。復旧や復興と言う言葉はほど遠い事ですが元旦の夕刻と変わらぬ風景を見つめながら静かにこの「酪農讃歌」口づさみ励まされています。
 発災以降「傾聴ボランティア」を続け避難所や仮設住宅、在宅避難者の声無き声を聴きながら震災から生き残った者として「共に生きる」事を見つめています。そして今の自分に何が出来るのか何を為すべきなのか日々我が身に問うています。
 震災前から「限界集落」「超高齢化」「超過疎化」と呼ばれている集落は本当に「限界」を迎えようとしています。これから家屋の解体がはじまりますが果たしてどれほ再建が見込まれるでしょうか。集落の住民は高齢者ばかりです。独り暮らしの高齢者から「再建」などと言う言葉はでてきません。厳しい厳しい現実です。
 今後も皆様のご支援くれぐれもよろしくお願いします。発災から半年お礼も申さずにいた事をお詫びと近況報告とします。眠れない日々が続き、血圧、血糖値に異常が見られましたが最近は少し落ち着きほぼ平常値に戻りました。片付けの中で見つけた古い梅酒を余震に怯えながらも晩酌しています。
 皆様方のご健勝とご多幸をお祈りします。
                      2024年6月16日(日)父の日
                             石川県輪島市在住 F.T.

 このたび珠洲市宝立町にお住いのOBから以下のお礼の葉書を頂戴しましたのでご紹介させていただきます(お名前はイニシャルで表示させていただきました)。

 この度、酪農学園同窓会より能登半島地震の被災者に対しまして心温まる義援金を賜りまして誠に有難うございました。私は昭和49年度酪農学科(飼料作物学研究室)を卒業したM.S.と申します。
 石川県の農業高校、特別支援学校に勤務しました。現在は退職し家で小規模農家をしています。
元旦、震度7の巨大地震は珠洲市の建物、大自然、人の心までも一変しました。何より不便だったのは水道が通らなく5月28日にやっと通水しました。このような中、石川県支部より届いた支援金の便りは有り難く感謝しかありません。酪農学園の建学の精神を見た様な気がします。卒業後50年経ちますが、思い出が沢山あります。特に創世寮にいながら農場でアルバイトをし、職員と野幌で飲ませていただいたことなど良い思い出は多々あります。
 今では学内知り合いもおりませんが、在学中に大変お世話になった坂本与市先生から激励の電話がありました。本当に嬉しく有り難かったです。
 能登の復興はまだまだですが、酪農学園出身者たち酪農家はもとより様々な所で頑張っています。本当に有り難うございました。