酪農学園短期大学二コース六期生 第5回同期会報告
Date:2024.11.11
酪農学園短期大学二コース六期生 第5回同期会 札幌地区開催にあたり、今回 地域幹事を仰せつかりました、大髙己津夫です。
今回六期生同期会第5回開催にあたり、ホテル交渉を昨年11月頃から始まり3月には山田慎治君とホテルを訪ね、凡その交渉をいたしました。
又、その後の皆様へのご案内など、園田益男君の力強い協力があってようやく本日を迎えることができました。
江別で黒沢酉蔵の元に集った仲間が全国各地で活躍し、札幌の地に26名の参加がありました。遠くは九州からも参加された仲間、そして何かとご多忙の中、快く送り出してくださったご家族に心からの感謝を申し上げます。又、安河内豊君は福岡から、お土産までご提供くださいました。仲間を代表して御礼申し上げます。
本日は短い時間ではありますが、青春時代に返り、当時の思い出話、バカ話に花を咲かせたり、思い切り楽しみましょう。 大髙己津夫 2024年11月2日
■二コース学びの思い出。
私たち1972年卒業の同期は今回5回目の同期会を迎える。
本当は1972年卒業のあと、直ぐに有志たちの集まりが有ったというのだが、私はその時は北海道に未だ居たのかどうか?ボケボケの写真が1枚残っているだけで,誰が?何時何処で?等など一切記憶とナルものがない。また人の記憶も怪しくなって,それぞれ違う記憶になって。それも年齢とともに無かったことになるのかな。
さて、ここに来て今更なのだが、今回も色んな思い出話があったのだが,人の記憶を聞くたびに、新しい発見を感じている。だから今まで5回の同期会を開催してきて、飽きたと言うことはなく、新しい記憶の発見があって、毎回わくわくさせられて、決して同じではない。特に今回感じた、そのことを紹介したい。
私たちの学び舎は、冬期間だけ3年間修学。1964年創設され1981年募集制止となり、その役目を終えている。詳しくは2015年に発行された「ふみあと」に載っている。
私たち1972年卒業組としたが、1年延長して来た先輩、そして1年延長して後輩組として卒業した者が当たり前にいた時代。また特質では4年生の大学を出てのち私たちの同期となった者がいる。私はその年齢的な違いのあることを知ったのは卒業してから。しかも1回目開催の時であった。高校もそのような年齢差があったようだが、それらは後年になってから知ったことである。在学中は皆同じとばかり思って、今となってはため口だったかとも思う。
私たちにはグループが有った。いわゆる真面目組、不良組と当時は思っていたが、どうもそんな単純なことではないようだ。遠方出身が殆どだったので、寮組が殆ど。その他アパート借家住まい組が、そして生家からの通い組。そして実習生として酪農家から通っていた組、その中で今回通いだった同期の自宅に同期を介して、連れて行ってもらったのだが、お互い記憶が無い。自分は写真を記録整理してきたので、写真を通しては知っていたのだが、相手は別れるまで記憶が無いという。教室では自分は教室の一番前、彼は後方席若しくは、殆ど出席していないという。先生教授たちも、私たちの授業持ちはアルバイト気分でいたのではないかと当時は思っていたので、点呼をとることもなかったかと思う。所謂一応大学なのだがら、義務ではないので、頭が良ければ?定期の試験さえ合格点を取れていれば、問題は無かったのだろうと思う。まあカンニングを見つかって退学をさせられた者もいた。その同期たちでも懲りずに参加してくるものもいれば、絶対顔を出さない者もいる。
また色んな事情で卒業しなかった者も多くいる。後々に判って、それには拘わらず、同期として参加して頂いている者も多くいることを忘れずに付け加えておきたい。そのものから、声かけをしてくれたことに、毎回感謝の言葉を頂き、こちらが大変恐縮してしまったが、仲良く付き合いできていることを嬉しく思います。
話を戻すが、幾つかのグループの有ることも、後々判ったのだが、寮生活以外の仲間たちの学生生活を、今は非常に羨ましく思っている。寮での生活が一番お金が掛からなかったことと、それ以外の選択肢がなかったことが残念というか、今も心残りである。それぞれの立場での苦労は見えないところで多々あるかとは思うが。いま同期会で思い出話を聞くに、そんな生き方もあったのかと、自分にとっては新鮮であった。
そんな仲間と別な生き方を聞けることは大きな事と思う。他期の卒業生たちのことは判らないが、ここ5年くらいの参加者傾向としてレギュラーが定着して来ているようだ。今回もいつものメンバーたち。遠くは福岡県と岡山と福島、そして自分は青森県からである。
青森の方言?言葉に「わも喋らせろ」という言葉がある。青森に移り住んでの印象は余り良くない。うるさい、嫌な言葉と持ってはいたが、これは有意義なコミュニケーションを戦わせる事を言い当てていると思うようになった。物置の入り口に戒めとして「我もしゃべらせろ」プレートを立て掛けてある。
1回開催からずっと集合写真撮影を承ってきたが、今回はホテルで撮影して下さることで、身軽で参加できた。ただ後日、記録のためも有って、データを買い取りした。参加できなかった一部同期にもプリンを制作して渡している。今回もそうしたい。そのことで次回は是非参加して貰いたいと思っている。
データ制作/文責 園田益男 (青森県八戸市在住)今回の開催の様子は自分のFBにも投稿していますので、ご感想など書き込みしていただければ、大変嬉しいです。