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掲載日:2018.12.03

機農高等学校1969年卒業組 第4期生 同期会報告

DSC 1507機農高集合2018修正

 私たち機農高校生は、時代の要請により、科がいくつも変わり、創学第1期から何十年目の連続した〇〇期生という呼び方がないので、直ぐには何期生?というのでは先輩なのか後輩なのか判らず戸惑うことがあり。

 1933年酪農義塾が創立。機農の名前が世に出て来るのは1942年。1948年に野幌機農高等学校となっているので単純に高校からの数えだと18期生となる。機農名からだと私たちは24回生ということになるのだが?これでは計算が合わない。10年先輩が農業科で15期生?複数科が同年代時にあったと思われるが、詳細は歴史家に任せることにする。

 今回の来道(私は八戸在住なので)の目的の一つに、10年先輩に当時のことのお話を尋ねることであった。その先輩とは、調べるに機農高校農業科第15期生1959年卒業となっている。そこで10年先輩であることが判る。敢えて先輩と呼ばせて頂く。

 先輩の現在の住まいは、50年前と変わらず。私たちが2年の時に暗渠排水作業のために角山の圃場へ通った。先輩はその野幌8丁目通りにあり、現在も酪農を営んでおられる。私はこの場所に来るのは50年振りである。

 少し話が長くなるが。現在私たち4期生の記念誌を制作中で、そのなかに50年前、この砂利道路をスコップ担いで歩いて帰る私たちの行進の写真が見つかり、掲載する予定です。その写真には当時の先輩の牛舎の一部が写っており、現在もその場所に同じ牛舎が残っている。また撮影された日時も判明できた。

 学生時代にガリ版で作った学級文集が残っており、その中に農作業の苦しさのボヤキが切々と年月日付きで述べられており、当時私たちがどのようなことを考えていたのかがよく分かるのですが、その殆どを忘れてしまうほどの年月が流れてしまっています。

 この地に10年先輩がおられることを知ったのは、3年の時の担任であった神正士先生のご子息にこの古い写真を見て頂く機会があり、そして、わざわざ現地まで足を運んでくださって判ったことである。

 神先生の奥様の存在を知ることになるのは、角山の開拓を小説にした本を読んだことに始まります。その本の著者が神先生の奥様であったこと。またその本を私に紹介したのは三沢市在住の機農同期生でした。これもなんかの縁と感じてその後、厚かましく古い写真を送って、撮影場所が判明した経緯でした。もちろん先輩に会うことも出来て、撮影された場所も特定できたことは言うまでもないことでした。

 さて、私たちの今回の同期会は14回(2年毎)を迎える。今回、54人の大人数参加と例年にない多さであった。そのために一言も会話を交わさないでサヨナラしてしまった仲間もいたと思う。今回初参加者がおり。ということは48年ぶりとなる。私は覚えていたが、相手からは、お前誰だ?という反応には、仕方ないかと思う。

 もう一つの悲鳴?狭い部屋に仮の写場を作り、何とか54人詰め込んで撮影をすることになる。撮影場所は、仮の写場で、終了後は宴会場になるところであったので、それからテーブルを配置して椅子を並べて、こちらは撮影機材を早々に片付ける作業にてんてこ舞い。そのうち主催幹事の挨拶が始まりだし、こちらはかなり慌ててスナップ撮影に奔走することになる。

 集合撮影では飽きたのか、駄々をこねるキットギャングたちをなだめるのに、別な労力を使ってしまった。毎回いつも元気なギャングどもである。わがままも同期の仲間としての証なのかな。開催地と日時:2018年11月17日 帯広市 ホテルCABIN

  ※学園の時代考察は極めて個人的な見解です。 (撮影&文責 園田益男)masuosonoda@gmail.com

酪農学園同窓会(2018.12.03)

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